「アテネオリンピックとFor the flag」

盛り上がっていたオリンピックもついに終幕。
そして夏休みも終わり、2学期が始まろうとしています。

私はなぜか前回のシドニー大会よりも今回は熱心に
オリンピックに関する中継や報道を見ていたように思います。
史上最多のメダルを獲得したことや、
さまざまな舞台裏の話など、涙腺の弱い私は、
ついつい見入っては、ジーンとしています。

さて、今回はオリンピックを見ていて
思ったことを述べてみたいと思います。

表彰式のときに君が代とともに国旗が掲揚されるのをみて、
選手たちは胸に手をやったり、目を閉じたりして、
国旗に敬意を表します。
さまざまな選手のコメントにも
「日の丸を揚げたかった。」
「スタンドの日の丸に勇気をもらった。」
というものがあり、国を代表して日本人として
あのような舞台に立てることは本当にすばらしいことだと思います。

ところが、話は少しそれますが、
日本には「日の丸を揚げることに反対する」人たちがいるそうです。

私の友人が勤める学校でも卒業式で
日の丸を揚げるかどうかで職員室が2つに分かれて
かなりもめるようです。
あまり事情を知らないので無責任なことは言えませんが、
その話を聞いて、
「そういえば、最近は祝日に門や家の玄関に
 日の丸が揚がっているのを見なくなったなぁ。」と思いました。

私が子供のころは祖父の家では必ず祝日になると
家の門に日の丸をつるしていたのを覚えています。
近所でも同じようにしていたように思います。
実は国旗を各家庭が掲揚する習慣は、
1890年代の後半ごろからでき、
旗が並んだ住宅街では祝日を祝う雰囲気が
町中にあふれていたということだそうです。

実は今でもこの日の丸の掲揚を町全体で
行っているところがあります。
島根県益田市飯浦町です。
20年ほど前に老人会の方々が国旗の大切さを説き、
伝統を守り、今でも170世帯いっせいに、祝日に掲揚されます。

「日本人」であることを日本にいる間はなかなか感じませんが、
私の祖父のころは、
「祖先のために、家族のために、
 人のためにこの日本を良い国にしよう」
という気持ちがあったそうです。

私は、中学、高校、大学と体育会系のクラブに所属していましたが、
公式戦になると、観客席でチームの旗が広げられます。
同じ学校の友人の声援を受けると、練習のとき以上に
上手くいきそうな勇気が不思議と湧いてきます。
同じ学校の違うクラブが、他校と試合をしていたら、
もちろん、自分の学校を応援したくなります。

そうして、地元の学校の集まりから、
市の代表に選ばれ、地区大会、全国大会と進み、
甲子園の高校野球や、国立の高校サッカーのように
地元が盛り上がり、さらにその中でも
優秀な選手が日本代表として、
オリンピックなどの世界レベルの戦いで
日の丸を背負うということではないでしょうか?

そして世界で活躍する選手たちを見て、
世界の舞台での活躍を夢見る子供たちに勇気を与えるのでしょう。
また、そういったステージに立ちたいと思う子供が増えて、
スポーツ界全体が発展していくのだと思います。

我々講師の役割はというと、勉強することを通して
次の世代を背負う子供たちを育てていくことだと思います。

このお知らせの最初にも書きましたが、
学習指導要領の改訂で、今の小学生の教科書は、
我々が使用していたころの教科書の半分ほどの
厚さになっています。
学ぶことは少なくなり、学習時間も減り、
学力低下が進んでいるということは、
毎年、生徒を見ていて痛感します。

そこから世の中で、通用する人材を育てるために、
高い学力を身につけ、学習することの楽しさを求め、
学校ではできないさまざまな取り組みをしていきたいと
思っています。そして、そうした指導を受けた
卒業生の中から、社会で活躍する勉強でのオリンピックレベルが
育ってくれれば、とても塾講師冥利に尽きるものだと思います。

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