子どもと話す時間

7月25日(日)の朝日新聞に、進学校14校の高校生の
語彙理解力が10年前のそれに比べ、著しく低下している
という調査結果が出たという記事がありました。

子どもの国語力が低下していることは
昨今の報道で知られていることです。
言葉の乱れも気になります。
どの教科を教えていても、最近我々講師が
戸惑う一番多い場面は、やはり語彙力不足です。
算数や数学などは、計算する能力も、
図形を把握する能力もある程度持っているのに、
問題の内容が理解できなかったため、
点数を落としてしまう生徒が少なくありません。

文章を読んで内容を理解するためには
語彙力が不可欠ですが、
その語彙は教室で教えられるものよりも、
普段の生活で使われていることのほうが
はるかに速く頭に入ってきます。

普段の生活に縁のない語に関しては、
小説を読んだりテレビのドラマなどで学ぶことができます。
ですから、意味があるのかないのかわからない
雑な日本語が乱れているバラエティーを好んでみる生徒と、
大河ドラマや報道番組などを見ている生徒とでは
賢さの差は歴然としています。

語彙力で言うと、最近は高校受験の国語の問題よりも、
中学受験の国語の問題のほうが難しい問題も多く、
中学で受験をする生徒と、高校で受験する生徒との学力の
差がどんどん開いていっているように感じざるを得ません。

テレビのことはさておき、
家庭で子どもと話す時間を作ることは
子どもが何をどのようにとらえて、
考えているのかということを知る上でも有効ですし、
大人の会話に参加することにより、
親の目を通して社会を学ぶということもあります。

私は公民の授業で家族制度を教えるときに
必ず「人間は社会的動物」ということを教え、
狼に育てられた少女の話を出します。
人間は人間社会の中でしか人間として
生きていくことができず、
人と人との関わりを無視して
何事も成り立たない。そして、
子どもには子どもなりの社会があり、
子どもなりの人生が始まっています。

特に最近は、成績が下位の生徒によく見られる、
授業として成り立ちにくくなる、
子どもたちの自分勝手な言動や、
授業を受ける姿勢が気になります。
授業をしていて、教科指導を超えて
講師の間で共通の認識になりつつあるのが、
この社会性のなさです。

学校も一つの社会ですし、地域も一つの社会です。
もちろん、家庭は一番基本的な社会であり、
決して食事をして睡眠をとるためのホテルではありません。
一定の理念を持ち、人間関係があり、
豊かに人と人とが結びあっていく基礎的な機能の場所です。
そして各家庭独自の習慣やリズムがあり、
そこでの生活を誇りに思う気持ちが
人間形成に大きく関わってきます。

学習サークルでは、社会性を意識して
社会に出たときに役立つようにという視点で
「自転車を並べる」「靴を揃えて脱ぐ」
「挨拶をする」「教室をきれいに使う」
などのことを呼びかけています。
特に授業開始と終わりの「礼」をする姿勢に関しては、
一連の動作をかなり口うるさくしつけています。
どの生徒もみんな素直に心がけてくれるようになっています。
これは塾に対するロイヤリティーをはかる
モノサシとなるのではないでしょうか?

子どもは身近なお母さんから
褒められることに自分の評価を求めます。
そこから、学校の先生などの大人と関わっていくのですから、
物事に取り組む姿勢や、学習習慣が身につくかどうかは、
家族それぞれが何をどのように考え、
お互いを支えあっているかという実感が
子どもにあるかどうかということが
目に見えない形で大きく作用しています。
ですから、子どもとどんどん話をしましょう。
子どもとよく話す時間を確保することが、
生活習慣や成績に大きく影響するものだと思います。

追記
最近、小学生でも携帯電話を持っている生徒が
増えてきて、少し面食らっています。
塾からの帰宅の連絡なども直接母親と
携帯でやり取りしている子どもを見て、
「ほう」と感心しています。
中学2年生の女子生徒がこんなことを言っていました。
「お母さんのメールってなんか味気ないなぁ。」
つまり、用件の連絡だけで終わってしまっていることを
少し残念に思っているようです。
コミュニケーションがどんどん進化していく昨今、
子どもに教えられることもなかなか多いなぁと思います。

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