正倉院展と元号の話(長文閲覧注意)

日付が変わってからの投稿なので

正確には正倉院展は昨日からです。

 

今日の新聞にありました。

今日から平成最後の正倉院展が始まります。

今回が第70回です。

 

先日、遣唐使についての

ふざけた語呂合わせの投稿をしたのですが、

今回はちょっと真面目に書きます。

 

遣唐使は630年から約200年続きます。

第1回の大使は犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)です。

 

大使とありますが、

遣唐使は「よつのふね」と言い、

四隻で渡航していました。

当時、船が難破して唐に渡れないということがよくあり、

辿り着けない船があった時のために、

遣唐使を代表する役職として

執節使、押使、大使、副詞という人たちが

ばらばらに船に乗り込みました。

執節使、押使は大使よりも身分が上です。

 

630年の犬上御田鍬から、

894年に菅原道真に中止が建議されるまで

20回の遣唐使が行われてます。

※14回、15回、16回、18回説あり。

 

遣隋使で活躍した高向玄理は

654年の第3回遣唐使で押使として唐にわたり、

帰国せずに唐で亡くなっています。

この人は河内の国出身で、

河内長野に高向(たこう)という地名が残り、

河内長野市のゆるキャラ「くろまろちゃん」の

モデルとなっています。

 

665年~667年の第5回~第7回遣唐使では、

白村江の戦いで負けてから

百済に駐留している唐軍の交渉を

したと言われています。

 

702年の第8回遣唐使では山上憶良が渡っており、

この回では白村江の戦いで捕虜となっていた

人たちを連れて帰りました。

 

717年の第9回の遣唐使では

阿倍仲麻呂、玄昉、吉備真備、

藤原宇合も渡っており、

総勢557人という大船団。

残留した留学生を除き、

全員無事帰還したと言われています。

 

遣唐使船は難破したり、遭難したり、

ベトナムなどに漂着しあり、

漂着したところで海賊や山賊に襲われて

命を落としたりなど、とにかく、

まともに行き来することが非常に難しかったのです。

 

 

地図にあるように東シナ海を渡って行くのです。

朝鮮半島を伝っていく航路が安全なのですが、

途中で新羅との関係が悪化し、

この航路が使えなくなってしまうのです、

 

752年の第12回遣唐使では、

藤原清河、吉備真備、大伴古麻呂が

渡っています。このとき、

新羅と席の順番で古麻呂が争ったことが

記録に残されています。

 

752年は聖武天皇の命令で作られた奈良の大仏の

開眼供養の年でもあります。

このころ、奈良の都では仏教勢力の

争いで政治が乱れ、聖武天皇は

戒律に詳しい唐の高僧に来てもらい、

日本の僧侶を指導してもらおうと考えていました。

 

鑑真はその昔中国にいた高僧が

日本で皇子なって生まれ変わり仏教を日本に広めた。

その日本から、鑑真へ戒律を教えてほしいと

迎えがきたということで、日本渡航への

情熱が高まったと言われています。

※諸説あり。

 

鑑真は唐の王朝から日本に行くことを禁止されていました。

秘密裏に日本に渡航しようとしますが、

弟子に裏切られて政府の役人にチクられたり、

悪天候によって船が座礁したりなどして

なかなか日本の渡れず、

日本に来た時には目が見えなくなってしまっていました。

 

この鑑真を日本に秘密裏に渡らせたのが

大伴古麻呂です。同じ時に

安倍仲麻呂、藤原清河も帰国船に乗りましたが

この二人の船はベトナム中部に漂着して、

結局唐で一生を終えることになります。

 

752年は当時の年号で天平勝宝4年とあります。

今年で終わる平成という元号を始め、

日本では2文字の元号が普通ですが、

この当時は中国史上唯一の女帝である

則天武后が使用した四文字の元号にならい、

日本でも女帝の孝謙(重祚して称徳)天皇が

天平感宝(のちに勝宝に改元)749年~756年

天平宝字 757年~764年

天平神護 765年~766年

神護景雲 767年~769年 と使っていました。

 

804年の第18回遣唐使では

空海、最澄、橘逸勢が渡っています。

こうしてみると、遣唐使に参加している

役人は後に朝廷で出世するようですね。

 

ちなみに留学生として唐に渡った人は

20年間いなければいけなかったのですが、

空海はわずか2年で帰国しています。

 

と、このように200年間の唐とのやり取りの中で

大変危険な目に遭いながらも無事日本に

帰ってきた人たちによってもたらされた

貴重な唐からの物を貴族たちは

競い合うように売買を行いました。

 

そうした宝物が現在にも残っており、

教科書にも載っています。

この教科書の載っている

「平螺鈿背八角鏡」が今回の正倉院展で見られます。

遣唐使は、ただ単に中国の政治制度や

中国の文化を取り入れたということだけではなく、

東アジアの国との外交問題、

航海技術と海との闘いの歴史でもあります。

 

こうした歴史を少し勉強したうえで、

私も過去に2回ほど行ってきました。

奈良公園で鹿と戯れる。

平城京の大極殿を見る。

天気のいい日はススキに囲まれて

風を感じるなど

悠久の時空を感じる空間に

身を浸すのもいいかと思います。

 

 

正倉院展は今年で70回目ですが

昭和21年の第1回目から毎年行われています。

貴重な宝物の保存と公開という

正反対のことに70年間挑戦し続けるということは

本当に凄い事なのだと思います。

 

奈良時代の宝物を目の前でみるということは

とても興奮することなのですが、

なかなか理解してもらえる人が少ないです。

けど、是非一度は行ってもらいたいと思います。

 

 

ちなみに正倉院展は、正倉院ではなく

奈良国立博物館でやっています。

間違って正倉院には行かないようにしましょう。

(私は過去に1回間違って行ってます)

 

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