クリスマスが近づいてきました

もう12月に入りました。
1年は本当に短いものです。

僕は1年の中で年末の時期が好きです。
12月のちょうど中旬の生まれで、
その時期からクリスマス、年末までの町の風景が好きです。
我が家では誕生日を祝ったり、
クリスマスに家族で過ごすという習慣がなかったので、
サンタクロースの存在は最初から否定されてきました。
小学生の授業の中でこのような話をしたことがあります。
少し長いのですが、読んで感想などいただけるとありがたいです。

「サンタクロースはいる?」

塾に来ている生徒(小学生は4年生から)は、当然のように
「サンタクロースは実在しない」といいます。
ですから、フィンランドのサンタクロースオフィスの話
をするととても喜びます。

では、クリスマスとは何の日なのか、
イエス・キリストとは何をした人なのかという
話をすることになります。
そこで、「宗教」という言葉が出てきます。

日本は神の国です。
八百万の神がおり、歴史を紐解いてみても
古くから、呪術的な思想の多い国でありました。
僕のいる大阪の南部には秋には豊穣祭があり、
地車やらふとん太鼓やらが繰り出します。

人間の力ではどうしようもない自然の
圧倒的な力から神の存在を創造し、
畏敬の思いから宗教が発達してきました。

人には「正しい心」と「悪い心」があります。
性質として、「正しい心」はもともと強く、
「悪い心」は弱いのですが、すぐに大きくなります。

人には自然と上へ伸びていく力が備わっており、
年月が経つと、自然と這うようになり、
言語を認識するようになり、
直立歩行をして、言語を話しはじめます。
年を重ねていくに従い、上に伸びるのは難しくなります。
下が固まっていないと、上に積み重ねにくくなります。
受験などの壁ができれば、より強い、上に伸びる力が必要になります。

悪いことをすると上に伸びる力は横にそれていきます。
少々、横にそれても「正しい心」で元に戻ります。
「正しい心」はつねに「悪い心」を押さえたり、
横にそれていくのを元に戻したりする力として
機能しています。また、「悪いこと」と認識するだけの
「正しい心」がある人は、人前でごみを道端に捨てたり、
駅の自転車を盗んだりすることを「恥ずかしい」や
「みっともない」と思います。

誰も見ていないからといってごみを捨てたり、
軽い気持ちで万引きをしてみたりすることは、
もともと人が持っている、正しく上に伸びる力を、
自分で下げることになります。
つまり、自分で自分の力を裏切っていることになるのです。

仮に軽い気持ちで万引きをしてしまったとして、
初めてしたときというのは、すごくドキドキして
胸が鳴り、罪悪感にさいなまれることと思います。
ところが、この軽いつもりの「悪いこと」を
繰り返すうちに、「悪い心」はどんどんと大きくなり、
「悪いこと」がエスカレートして、
次第に罪の意識がなくなってきます。
これは「正しい心」が少しずつ小さくなり、
「悪い心」を抑えられなくなってきているのです。

「悪い」と思えるうちはまだ救えますが、
車の窓からタバコの吸殻を捨てるようになると、
人間、もう終わりだと言うことです。

昔の日本の家には鍵がなく、戸に「閉まっている」
という札や紙を貼ってあるだけのものでした。
月曜日に間違って散髪屋に言ってしまった人が、
「本日休業」の閉まっているシャッターを見て、
「本当に閉まっているのか?」とシャッターを
開けようと試みる人がいないように、
閉まっている戸を見て、閉まっている様子を見て、
「ここは閉まっているのだ」と、人の心に鍵をかけるのです。
昔の人の方が、現代の日本人よりも清貧で、謙虚で
人の良心を信じた行動をとり、神を信じ恐れたのでしょう。

人間、強くなれば悪くなり、賢くなれば汚くなりがちです。

誰も見ていなければ、バレなければ良いだろという
「悪い心」が巣食ったら正しい力が弱くなっている
ということを思い出しましょう。
誰も見ていないけど、自分だけは知っています。

サンタクロースも神様も姿は決して見せません。
しかし、ずっと見ています。見られていると
「悪い」は姿をひそめます。
クリスマスになるとサンタはトナカイの引くそりに乗って
世界中の「正しい」を鍛えた「よい子」にプレゼントを
くれるのでしょう。

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