サムライのルーツは聖徳太子?
5月の中旬に「ラストサムライ」のDVDが発売されました。
私はこの映画を、去年の夏、「パイレーツ・オブ・カリビアン」を
見に行ったときの予告編で知り、
ハリウッドが本格的に日本の歴史に取り組んだという
とても良い前評判のこの映画を、楽しみにしていました。
12月の上映が始まったときには、年末の休暇を利用して
2度も見に行き、2度とも同じシーンで涙を流しました。
CMでも「サムライの遺伝子を持つすべての日本人へ」
という呼びかけで紹介されていたり、
試写会を見た女性が、「日本人に生まれてきて良かったです」
と語っていたりと、日本人としてのアイデンティティーを
再発見するという意味においても、
外国人に日本人を知ってもらうという意味においても、
優れた映画だという評価があちこちであがりました。
「サムライ」という言葉は、グローバルなステージで
活躍する日本人を称するときに、よく使われます。
サッカー選手や野球選手、特に最近よく聞くのはF1選手です。
ところが、風貌から「サムライ」を想像させるものは何もなく、
その日本人の物事に取り組む姿勢や、
結果の出し方を見て、そのように言われるのですが、
これは理由のないことではありません。
派手なパフォーマンスや、奇抜な外見で
自分を全面に押し出してアピールするわけでもなく、
静かに内側に闘志を燃やす、愚直なまでの一途さ。
寡黙でかたくなな信念を持ち、自分を磨き上げる姿勢。
そういう日本人を見て武士道の精神とつながることから、
日本人を「サムライ」と称するようになったのではないでしょうか。
私は実はこのような日本人の姿勢のルーツは聖徳太子の頃に
形成される下地ができたのではないかと思っています。
聖徳太子とは、平安時代につけられた名前で、
それまでの歴史書を見ると、「厩戸皇子 (うまやどのおうじ)」
と書かれています。そしてその名前がつけられた由来は
イエスの降誕を模倣して伝説化したからだと言われます。
また、聖徳太子には
「生まれて4ヶ月で話せるようになった。」
「生まれてくるときに仏舎利を手に握っていた。」
「一度に20人の訴えを聞き分けた。」
「日本で最初に忍者を使った。」
など、聖人化した伝説が残っていますが、
それだけの偉業を成し遂げた人物だからという予測はできます。
小学校・中学校で学ぶ聖徳太子に関する知識は
以下のようになります。
593年 推古天皇の摂政になる。
603年 冠位十二階を定める。
604年 十七条憲法を定める。
607年 第一回遣隋使に小野妹子を派遣する。
世界最古の木造建築、法隆寺を建てる。
※今月中学2年生は社会の授業で↑の内容を学習します。
中国の皇帝を盟主として属国となっていた
日本(この当時は倭と呼ばれていた)の体制を
天皇中心の新しい独立自尊の国家にするために
前述のような政治を聖徳太子は行いました。
儒教を開いた孔子の教えに「五常の徳」というものがあります。
これは人間が身につけるべき徳目を指します。
その徳目は「仁義礼智信」の5つです。
それぞれの詳細は↓のようになります。
仁・・・思いやり、慈しみ。
義・・・人道に従うこと、道理にかなうこと。
礼・・・社会生活上の定まった形式、人の行なうべき道に従うこと。
智・・・物事を知り、弁えていること。
信・・・言葉で嘘を言わないこと、
相手の言葉を誠と受けて疑わないこと。
聖徳太子は冠位十二階で、その位を上から
「仁礼信義智」と並べ、一番上を「徳」とし、
6つの位をそれぞれ上・下にわけて十二階としました。
つまり、国を治めるのには人の道よりもまずは礼を大切に、
さらに信(まこと)であると言うのです。
この点は哲学者でもあり、歴史学者でもある梅原猛氏が
注目していました。前例として中国でもこの順番で
列挙することがあったようです。
道理を考えて行動すること、
知識を求めて物事を知っていること、
それ以上に聖徳太子は、
人の和を大切にし、自分と対する人に礼を尽くすことを
大切に考えたようです。
そして、それは、役人の心得を示す
十七条憲法にも反映されます。
日本人は人との約束を重んじ、果たすことを
当然のことと考えます。
これは、我々には当たり前のことですが、
近所の国では、「約束は破るもの」という考えがあります。
また、「察しと思いやり」は日本人の妙だと私は考えますが、
西洋では自己主張のない人間は格下の烙印を押されます。
ラストサムライを撮るにあたって、トムクルーズと監督の
エドワード・ズィックは、新渡戸稲造の「武士道」を
何度も何度も読み返したそうです。
そして、その中でトムクルーズが気に入って、スタッフに
よく話していたのが次の部分だそうです。
「サムライに『約束』という概念はなく、
また、『約束』を取り決める必要がない。
なぜなら、サムライにとって一度口にしたことは必ず守られる。
言葉で表明することと実行することは 同じ事を意味する」
中国の冊封体制(中国に従う体制)から脱却し、
新しい天皇中心の国家を作るために
必要だと聖徳太子が考えた日本人のための徳目が、
武士の道にも通じ、現代の日本人にも
しっかり根ざしているものと私は思います。
※次回はあまり知られていない新渡戸稲造と武士道についてふれてみた
いと思います。